その途中の坊ノ岬沖にて、太平洋戦争に於いて日本海軍の象徴ともいえる戦艦大和がアメリカ軍の戦闘機や爆撃機の攻撃により撃沈されました。
この戦いで日本海軍の艦船9隻のうち6隻が撃沈されてしまいました。
この戦闘での日本軍の戦死者が約3700名に対してアメリカ軍の戦死者は12名とここでも制空権を握っていたアメリカ軍に有利な戦闘が繰り広げられました。
戦闘機の護衛のない艦船だけでの作戦遂行がいかに無謀であったかが証明されてしまいました。
戦艦大和は太平洋戦争開戦とほぼ同時期の1941年12月16日に就役しています。
1937年11月4日の起工から丸4年の月日を費やして完成しました。
つまり完成からわずか3年4ヵ月という短い一生だったわけです。
その短い一生の中で戦地に出撃したのは
・ミッドウェー海戦
・マリアナ沖海戦
・レイテ沖海戦
・沖縄特攻の4回だけです。
そのうち戦闘に参加したのはレイテ沖と沖縄特攻の2回のみです。
太平洋戦争開戦当初想定していた敵艦に対しての攻撃はわずか1回のみとなりました。
太平洋戦争開戦時には既に大和の本領が発揮できる戦場や戦法というのは、遠い過去のものとなっていました。
戦艦大和の最期は魚雷を左舷に集中攻撃を受け、左へ15度ばかり傾斜しましたが、3000トンにも及ぶ注水で一時的に復元します。
このとき搭乗員は「やはり大和は不沈艦なんだ!」と微かな望みを持ったのではないでしょうか。
しかしその後アメリカ軍の波状攻撃によりついに左に転覆。その直後、弾薬庫に引火誘爆して巨大なきのこ雲を立ち昇らせながら海中に沈んでいきました。
結局は太平洋戦争中、期待された戦果を挙げることなく悲運の最期を遂げることになりました。
しかし太平洋戦争終結後日本人の記憶に深く刻まれ愛される戦艦になったのは、日本人の哀れみの心がそうさせているのかもしれませんね。
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